函館の新たな魅力を“設計”する―建築家の僕にできること
取材・執筆:向平 侑加(北海道教育大学函館校 マスコミ研究会)
建築をデザインする
全身黒で統一されたファッションに、髪を後ろでしっかりと束ねたオールバックという出で立ちでやってきた高田傑さん。芸術家の風貌に圧倒され、上手く取材できるだろうかと不安に思った。しかし高田さんのお話を聞くうちに、建築や函館、SSH(サイエンス・サポート函館)にかける思いの強さに気付き、そして感動した。
幼少時代から美術作品を見ることが好きで、絵を描くことも得意だった。当時東京で浪人生活を送っていた高田さんは、漠然と建築の道に進むことを決めた。大学では芸術性という観点から建築を学ぶため、美術学部の建築科を選んだ。実験の多い工学部に比べ、建築設計・都市デザインなどの実技に重点を置いているのが東京芸術大学美術学部建築科の特徴だ。実技の授業では、1年生での家具のデザイン・製作から始まり、経験を積みながらより大規模な建築の設計を習得していく。
約12年前、大学の卒業制作では、「函館どつく」を地元人と観光客の交流施設にリノベーション(古い建造物を極力保存しながら、時代に合う新たな機能を挿入する建築手法)した生涯学習施設を設計した。かつては造船産業の一翼を担っていた旧函館ドッグも、造船産業の不況ですたれてしまっていた。「函館に住んでいる人たちと観光客が共有できる場所をつくってみようと思った。地元の人たちの生活の場と、観光で来た人たちのための施設は街の中ではっきりと分かれてしまっている。その矛盾みたいなものを解決したかった」と、当時の思いを振り返る。
建築と科学
大学院修了後、横浜の設計事務所に入社した。そこでは公立はこだて未来大学の設計を任された。SSHのメンバーと出会ったのも、未来大学の建設がきっかけだった。未来大学が建築家と科学者を結びつけたのだ。
そんな建築と科学のつながりは、どこにあるのだろうか。「僕も、最初は建築と科学がどう結びつくんだろうって、解らなかった」と言う高田さんだが、SSHの活動に携わっていくうちに、一見関連性がない建築と科学が、実は共通点が非常に多いことに気づいた。
建築は、人がどう住まうか、人がどのような活動をしたいかを考えていかなければならない。例えば一つの住宅をつくるためにも、敷地の周辺環境や気候、方位、家族構成、職業、趣味、各部屋の広さ、構造、予算といった様々な条件を整理してイメージを作り出すのだ。SSHでのアートディレクションという仕事でも、SSHを構成するさまざまなイベントを整理し、各イベントの関係性を見出す。
SSHを活発にするためのいろいろなアイディアをSSHの中でどう位置づけていくかという作業は、建築の考え方とよく似ている。建築も科学も、最終物をつくるために、その仕組みを知り、条件を一つ一つクリアして、論理的に物事を考えていかなければならない。アートディレクションという仕事は、建築を知っている自分にしかできないことだと確信した。
そうして全体的にまとまったイメージを、多くの人たちにアピールするというのも高田さんの役目だ。科学を敬遠しがちな人たちに、いかにSSHという活動を知ってもらうか。アートディレクションの仕事は、シンボルマークやポスター、パンフレットのデザイン、ウェブサイトのデザイン・監修、イベント会場のデザイン・設営など多岐にわたる。
「たとえばイベントを行うとき、最初にシンボルマークを作ると、みんなが一丸となってそのイベントを盛り上げようっていう気になったりする。目標や理念のようなものが目で見えるから、みんなが同じ意識を持って取り組める。国旗や企業のCI(コーポレート アイデンティティ)の様なものです」と、ビジュアルの重要性を話す。
現在は、8月の本番に向けて未来大学の学生との共同作業も急ピッチで進んでいる。
「彼らは非常に優秀かつ熱心で、月に一度しか来れない僕のアドバイスやディスッカッションの内容を的確に理解し、次の一月で飛躍的に進化してくる。函館の未来を担う人材が、この大学で確実に育っているなー。という実感と喜びがあります」デザインという仕事は制作するマテリアルが多いこともあり、高田さん一人が全てを制作するということは物理的に不可能だ。チームワークの善し悪しが、本番で勝負の分かれ目となる。
函館にかける思い
高田さんは東京に18年以上住んでいるが、月に1度は函館に帰ってくる。現在は、函館近郊に住む両親のために新居を設計中だ。「都市から離れて温泉に行くにしても、ちょっと街に出るにしても、何をするにもストレスを感じないちょうどいい大きさの街」と函館の良さを語る。
一方で、函館は過去の遺産に頼りすぎているところがある、と指摘する。「函館と言えば○○」というような、すでにあるもののイメージだけでは限界がある。昔は、「日本で初めて世界に開港した街」として常に新しいものを発信する街だった。「せっかく“おしゃれな街”というイメージがあるのだから、古く寂れていくだけではもったいない。これからの函館は、古さと新しさが共存する街にしていきたい」
新たな魅力を函館に植えつける、その第一歩が「科学」になるかもしれない。函館が“ハイカラでハイテクな街”と呼ばれる日はそう遠くないのではないだろうか。
2009年5月取材