スタッフインタビューSSH星人

SSH立ち上げ人 美馬のゆり先生―仲間と共に作り込むことへのこだわり

取材・執筆:細川 桜(北海道教育大学函館校 マスコミ研究会)


SSH(サイエンス・サポート函館)で代表・実行委員長を務める、公立はこだて未来大学情報アーキテクチャ学科の美馬のゆり先生を訪ねた。専門は認知科学で、コンピュータと教育、認知心理学・演習などの講義を持っている。認知科学とは、あまり聞きなれない言葉だが、先生曰く「人の心を科学する」のだとか。先生の好きなことは、“仲間と一緒に作り込むこと”。はこだて未来大学には開学前の計画策定当初から携わり、SSH結成の呼びかけ人でもある。

人生を作り込む

小学生のころから数学が好きだった。中学・高校のときは、数学部に所属し、数独のようなものを自分たちで作ったり、文化祭の時には無限について「アルキメデスとカメの原理」の人形劇を行ったりしていたという。高校生のときに、日本IBM本社へ見学に行ったときに運命を変える出来事が起こる。コンピュータがまだ一般家庭に普及していなかった1977年2月8日のことである。コンピュータに自分の好きな西暦と月を入力すると、瞬時に計算してカレンダーが印刷されたのである。まずは自分の誕生日を入力してみた。次に、どこまでこの計算機が計算可能なのかということに興味を持ち、入力可能な最大の数値である9999年12月と入力してみた。コンピュータはミスを犯すのではないかと思ったが、カレンダーは出てきた。当時のことを振り返り、「今だったら、大したことではないが、当時は感動した。コンピュータは世の中を変えていく機械になるに違いないと変な確信を持った。だから、私はもっとコンピュータについて知りたい、コンピュータに関わる仕事をしたいと思った。」と美馬先生は話す。

その後、東京電気通信大学計算機科学科に進み、外資系のコンピュータ会社に勤務した後、ハーバード大学の大学院に留学。帰国後は、認知心理学を学ぶために、佐伯胖教授のいる東京大学の大学院に進んだ。認知心理学を学んだのは、人が学ぶプロセスに興味があったからだという。

大学卒業後は東京の川村学園女子大学や埼玉大学で教鞭をとった後、2000年4月のはこだて未来大学開学と同時に教授となった。2003年10月から3年間は東京お台場にある日本科学未来館に副館長として運営に携わった。「科学館や見学コースの存在が人の人生を変える力を持っているということを自分の経験からはっきりと言える。未来館にいた時は、私たちの次に続く世代の人たちに、世の中にはどのような面白い仕事があって、そのためには今何をしなければいけないのかということを知らせたいと思いながら仕事をしていた。」と語る。

SSH立ち上げ

SSHを立ち上げるというアイデアは、未来館にいた3年間で生まれたものだった。 その理由の一つは、「科学館に来てもらい色々なことを知ってもらおうというのには限界がある。だから、別の方法を探さなければならないと思ったから。」未来館はお台場にあるが、同じお台場にあるフジテレビやゲームセンターは未来館に比べて多くの人で混雑している。また、フジテレビやゲームセンターに行く人と科学館に行く人は全く異なる。フジテレビやゲームセンターに行く人たちに対していくら科学館が企画を出しても彼らを引き寄せることは難しい。「そのような人たちにも、科学は楽しいということだけでなく、科学技術は社会的な問題も生む可能性があるということなどを考えてほしい。特に、科学に関心を持たない大人に関心を持ってもらいたい。でも、大人は子供ほど無邪気ではなく、また、自分は科学が不得意だ、嫌いだということを徹底的に植え付けられているために、単に面白さを見せただけでは来ない。だから、彼らを待つのではなく、そういう場をこちらから出かけて行って作り出していかなければいけないと思った。」

もう一つの理由は、「函館だからできることがある。函館だからしなければいけないことがあるというように感じたから。」函館には科学館がない。科学館や博物館などは国の税金でつくられているにも関わらず、東京などの大都市に集中しているのが現状だ。しかし、だからと言って函館に科学館をつくるのは難しい。なぜなら「最先端の科学技術の展示は常に作り変えていかなければならない。最初の建設費はあっても、その後の展示の改修費など、運営費は相当な額が毎年必要になる。作り変えていかなければ展示の内容が最先端ではなくなってしまい、科学館に人が来なくなる。そういうわけで、函館市のような小さな街に科学館のような箱ものを作るのは難しい。」と美馬先生は言う。それならば、科学館とは違う形で科学技術を身近な問題として知ってもらえる場をつくろうと考えた。なぜなら、科学技術を理解することは、特に大人にとって、自分たちの未来の選択になるからだ。更に、理科や数学が苦手と思っている人たち、科学館に来ないような人たちにどうアプローチしていくかということを考えた時、函館ではいろいろなお祭りを行っているので、その中の一つとして、NPOや学校の先生たちと協力して科学のお祭りをしてはどうかと考えたという。

こうして2008年から立ち上がった組織が、SSHである。

未来を作り込む

大学やSSHを作り込んで来た美馬先生だが、未来のことについては、どのようなスタンスをとっているのか。私たちの暮らす函館の未来について伺うと、「函館の未来を語るとき、函館がこういう風になってほしいと言うのは他人任せで好きではない。私はみんなで函館の未来を作り込んでいきたい。」と、仲間と一緒に作り込もうとする姿勢は変わらないようだ。

函館の好きなところは、「作り込むにはちょうどいいサイズで、熱意のある人がたくさんいるところ」だという。東京や札幌に比べ函館は、「ちょっと声をかければ、いろいろな人がつながっていける街」だ。

“未来を予測する最良の方法はそれをつくること”という言葉が大好きだという。パーソナルコンピュータの父と呼ばれる、アラン・ケイの言葉だ。“誰かがやってくれるのを待って未来を予測するのではない。自分で手足を動かして、未来を見据え、実現させれば、それは未来を予測したことになる。”という意味だ。

「函館は気候も快適で、30万都市の規模の割には学校の選択肢が多く、文化的遺産が建造物だけでなく、人々の心の中にも未だに残っているように、良いところがたくさんある。」

街もまた、作り込んでいく中で人が育ち、それが未来につながるのかもしれない。仲間と共に大学を作り込み、SSHを作り込み、未来を作り込む美馬先生の姿に、自分もまた函館の未来を作り込む一人であるということに気が付き、気が引き締まる思いがした。

2009年7月取材

美馬 のゆり
プロフィール

公立はこだて未来大学 教授
メタ学習センター センター長
サイエンス・サポート函館 代表

美馬 のゆり(みま のゆり)

東京生まれ。電気通信大学計算機科学科卒業。外資系コンピュータ・メーカ勤務を経て、ハーバード大学大学院修士修了、東京大学大学院教育学研究科修士修了、博士退学。専門は認知科学、教育工学、科学コミュニケーション。スタンフォード国際研究所教育工学センター国際研究員(1998年)、マサチューセッツ工科大学メディア・ラボラトリー客員研究員(2001-2002年)などを務めつつ、公立はこだて未来大学(北海道・函館)および日本科学未来館(東京・お台場)の設立計画策定に携わる。設立後は、大学では教授(2000-2003、2006-現在)、科学館では副館長(2003-2006年)を務める。文部科学省の科学技術理解増進や科学技術政策に関する委員、経済産業省の製品安全に関する委員、日産科学振興財団の理事、パナソニック教育財団の評議員、日本国際賞の司会、NHK教育サイエンスZEROのコメンテーターなども務める。2008年からは、地域の科学コミュニケーション促進のための組織「サイエンス・サポート函館」を立ち上げ、科学祭の実施や人材育成、ネットワーク形成を行うリーダーとして活動している。主な著書に、『不思議缶ネットワークの子どもたち』(ジャストシステム)、『「未来の学び」をデザインする』(東京大学出版会)などがある。

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